「昭和100年」の節目の年、ものづくり精神の継承を

2025年1月6日

 にわかには信じがたいが、今から100年前の1925年、日本最大の都市は大阪だった。2年前に起きた関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京市(当時)は人口が激減し、200万人を割っていた。その間、大阪市は周辺町村を合併したことで211万の人口を数え、僅差ながらも日本最大の都市になった。もっとも東京市もその後、大阪同様に周辺町村を合併したことで、あっさり首位を奪還するのだが、工業出荷額は戦後しばらくまでは大阪が1位を維持していた。
 100年前といえば、いわゆる第2次産業革命の末期にあたり、繊維産業など軽工業をはじめ、造船、製鉄等の重工業が発展した時期。製造業に従事する人が急激に増え、新たな産業も勃興し始めた。大阪が工業出荷額で優位に立てたのは、それらが盛んな土地柄だったことに尽きる。その後、軍需産業の隆盛にともない軽工業から重工業へシフトし、機械や金属、化学産業が発達していった。
 民間の信用調査会社の調べによると、1925年に創業し、今年100周年を迎える企業は全国に1685社あるという。業種別でみると、「製造業」「卸売業」「小売業」が大半を占める。まさに、ものづくり大国・日本の面目躍如といったところだが、長い歴史の中で多くの変革を乗り越え、持続可能なビジネスモデルを築いてきた企業群ともいえるだろう。
 世界的にみても日本の長寿企業の多さは群を抜き、創業100年以上の企業数は国別で1位。世界各国の100年企業の中で約4割を占める長寿企業大国だ。これだけ100年企業が多い理由としては、ひとつは他国による侵略や植民地化がなく、既存企業が力を失わずに存続できたこと、かつては長男が家業を引き継ぐ家督相続制度があった点などが挙げられる。なかでも同族経営は長寿企業の強みで、実子に限らず経営者自身が長期的な視点を持ち、地域に根差した経営を行う企業は、安定したビジネス基盤を築いている。それが100年間、企業が存続している証だろう。
 ここ数年、日本の製造業の凋落が叫ばれて久しい。家電が傾き、最後の砦ともいうべき自動車産業も企業再編の波が押し寄せている。年末に大手メーカー間の経営統合のニュースがあったが、そのうちの1社は今年創業92年。あと少しで100年企業の仲間入りができていた。企業が生き残るためには、背に腹はかえられない。
 1925年は元号でいえば大正14年で、翌26年12月に昭和と改元された。昭和元年と64年は1週間しかなかったとはいえ、今年は「昭和100年」の節目の年にあたる。新年を迎え、あらためて昭和の「ものづくり精神」を見つめ直したいものだ。

バナー広告の募集

金属産業新聞のニュースサイトではバナー広告を募集しています。自社サイトや新製品、新サービスのアクセス向上に活用してみませんか。