最近よく耳にする「静かな退職」という言葉、しかしこれは急に出社しなくなる退職や、今話題となっている退職代行の利用を指すものではない。元々はアメリカの「Quiet Quitting」から派生した言葉であり、語義としては「労働者が必要最低限の仕事をこなす状態」を指す。この現象は、在職しながらも退職が決まった人のように淡々と働く姿勢を特徴とし、日本では「がんばりすぎない働き方」とも言われる。
その様子は労働争議を連想させるかもしれないが、かつての労働組合が行った大規模なデモやストライキとは異なり、最も近いのはサボタージュであろう。しかし、これは労働争議やサボタージュそのものではなく、個人単位で雇用契約上問題なく緩やかに行われる現象である。
悪い印象を与えることも多いが、ほんの少し前まで「ワーク・ライフ・バランス」の重要性が謳われていたことを考えると、言い方や捉え方次第では同じような思想に行き着くとも言える。会社が社員の人生全てに責任を負わないのであれば、社員もまた会社に人生の全てを捧げるわけではない。その観点から見れば、評価に見合わない過剰な仕事を求められてきた「やりがい搾取」に対する答えとして、「静かな退職」の風潮が生まれたとも言えるだろう。
欧米や日本で広がる一方、中国では改革開放路線の下で、表向きは共産主義・社会主義を掲げつつも、実際は資本主義的な経済が浸透してきた。ここでは「寝そべり族」と呼ばれるライフスタイルが広がり、労働を避ける、定職を持たない、住宅や車を購入しない、恋愛や結婚を避ける、消費を抑える。この現象も「上に政策あれば、下に対策あり」のように、「上に『やりがい搾取』あれば下に『静かな退職』や『寝そべり族』あり」な必然であるのかもしれない。
1980年代末から90年代初頭にかけて冷戦が終結し、社会主義が衰退して約30年が経過したが、資本主義側が労働意欲の低下を招く状況を見せているのは、資本主義、特に新自由主義が多くの人々を納得させ、努力に見合った結果が得られるという確固たるビジョンを示せていない証拠である。
企業が「安売りはもうできない」として製品や商品の買い叩きに応じられないことが正当ならば、労働者が労働力の買い叩きに応じないのもまた道理である。労働力を安定的に確保するためには、労働者を「買い支える」必要がある。
人材の確保だけでなく、その人材が長期的かつしっかりと働き続けることが求められる。働き方を選べる環境が整っている中で、積極的に働いて成果を上げた労働者には、明確な待遇改善を進めることが企業の解決策となるはずだ。