11月中旬にアゼルバイジャンで「化石賞」が発表され、また日本が受賞となった。この賞は環境NGOが気候変動対策の国連の会議「COP」に合わせて開かれているだけで、国や国際組織が関わっておらず強制力等は無く、気候変動への取り組みが後退している事を〝化石〟と表現して〝不名誉な賞〟として問題提起している面が強いが、ここ数年は日本の受賞が多い。
しかしここ最近でも二酸化炭素排出において国全体での絶対量として見れば中国が、1人当たりの排出量として見ればアメリカが最も多く、日本はだいたい5位にある。特に中国は経済規模や外交面では先進国・大国のように、しかし環境問題に関しては新興国(かつての発展途上国)のように振舞う事があり、この賞自体も不公平や恣意的なものも感じられる。日本は公害問題がひどかった時代を経て、環境問題は無くなった訳ではないが対策をするようになり世界でも比較的取り組んでいる国のはずだ。
二酸化炭素排出だけに限らず二酸化炭素を吸収する森林伐採やサンゴ礁破壊、そして大気・水質・土壌汚染、人類が近代的で豊かな生活を送ろうとすればするほど環境を犠牲にするのは事実だ。しかし発展途上国・新興国としての言い分としては「産業革命以来、先に環境破壊をして経済発展を遂げたのに、後から同じ事を進めようとして否定される道理はない」。一方の先進国としては「環境破壊の失敗を踏まえ、同じ轍を踏まないようしてもらいたい」―といったところだろう。この時点で世界が歩調を合わせる事が難しい。
本紙に関連するねじ・ばねに限らず重工業の製品は分かり易い例で、地中から鉱物資源を採取し、本来は化合物であるのが自然なものを熱や添加物を加えて金属を精製して、電気を使用して線材・棒材に、そこからねじ・ばねに加工、必要に応じて熱処理ではガスや電気、めっきでは化学薬品に漬けて電気を使用して別の金属で表面を覆う。それらが1個・1本当たり数円・数十銭で製造・販売される。大量生産で効率化していたとしても、手間だけでなく環境に負荷をかけている事が分かる。
昨今では自動車のような完成品だけでなく、ねじ・ばねといった一部品、めっきの薬液や処理サービスでも環境に配慮している点をアピールするのは環境問題への意識が高まった成果だろう。
エコノミー=経済性とエコロジー=環境対応が両立した製品やサービスは消費者・市場も肯定的で需要があり普及し易い。しかし環境を犠牲にした安い製品と、環境対応した高い製品があった場合、どちらの国や企業が生産した方が選ばれるか?環境保護を進める為には、対応している事に価値を見出す風潮や仕組みを作らなければならない。