最近日本でもメジャーになりつつあるイースターだが今年は4月9日。由来としてはナザレのイエス(信者はキリストとみている)が復活したとされる事に因んだ祝祭であり、その前にはパッション(受難)の逸話がある。
この背景として古代ローマ帝国のユダヤ属州において、大衆の支持を集めていたイエスが「属州からの独立」のような求められていた期待とは違っていた等の顛末があって処刑を求める動きがあり、当時属州総督だったポンテオ・ピラトが対応したが、ピラト総督としては帝国内の法秩序に触れるような事を起こしていないし、ただ現地住民が騒いでるだけ。しかしこの騒ぎを治めないとならない為、住民の意見を尊重するという体も取りながらで処刑されている。
赴任先で騒ぎが大事になると「統治能力に問題あり」とされキャリアに傷がつく。なにか功績を残すより、失敗しない方が重要とされがちな減点評価の事なかれ主義。政治としてみるとそんな思惑・駆け引きも垣間見える。
一時期話題になった「働かないおじさん問題※別に中高年男性に限らず女性や若者も含まれるはずだ」とはいわれるが、これは決して働いていないわけではなく、厳密に云うなら積極的に動いて手間ばかり増えたり、下手に失敗・問題を起こすよりは従来通りで行こうという慣例主義に凝り固まって「消極的に働いているおじさん問題」というべきはずで、これにも通じそうだ。
本部(本国・本社)と現地・現場との温度差、そしてそこに赴任・派遣される本部からの担当者が現地との板挟みや意識の乖離。これは国家(政治)だけでなく企業(経済・産業)にも通じるはずだ。
或る設備機器メーカーを取材した際に聞いた話だと、設備導入前にユーザーの海外事業所に下調べで出張した際、本社から赴任している工場長と話していても具体的な課題・問題点が分かりづらく、その後に実際に現場で働いているスタッフ(外国人)の元に向かうと「また日本人が来たな」と最初はいぶかしがられるが、現場の話を聞いていくうちに「この日本人は言いたい事・問題点を理解してくれる〝話の分かる人〟」と見てくれて、工場長の気持ちは現地より本部に寄っている節を感じるそうだ。
地方=全国区や海外=グローバルに展開するとどこまでローカルに対応していくか?現地の裁量を認めるか?本部は現地を把握できているか?そして地域に限らず分業によっても部門・管轄間で温度差が生じる。組織が大きくなって事業を広く展開すればするほどこの問題を抱え易いが、これを対処する事も広い意味でガバナンス(統制)と言えるはずだ。