花見シーズンも過ぎつつあるが、思い出すのは何年か前の花見で賑わう公園を報じる某民放地上波の朝のワイドショー(情報番組)で気になった、外国人同士の喧嘩を片方は「バングラデシュ人」、もう片方を「アジア系」と報じており、時評子は「花見の浮かれた雰囲気、日本人だろうと外国人だろうと喧嘩は起きてしまうのだろう。しかしバングラデシュはアジアに入らないのか?そして〝アジア系〟とはどこの国の人だったのだろうか?」番組制作者の意図が今も気になっている。
そして昨今も、新型コロナウイルス感染症により世界各国で〝アジア系〟への差別・偏見やヘイトクライムが広がっている―と報じられているが、地域と人種・民族の名称は必ずしも合致しない。
仕事柄で輸入・輸出の統計等を調べる時にもアジアとされる範囲は調査機関によって定義も違う事が多く、この言葉はかなり使い方が難しいと思っている。
人種・民族についての学説は諸説ある。一般的に〝アジア系〟と言われているのは黄色人種(モンゴロイド)だろうが、アジアだけに黄色人種がいる訳でなく、一方で大航海時代以前の南北アメリカ大陸にも広がっていた。
巨大なユーラシア大陸をアジアとヨーロッパに区別するのは人間の都合でしかない。地質学的にはユーラシアプレートとしてひとつであり、逆にアジアとされるインドとアラビアは別のプレートだ。
元々ユーラシア大陸において、ヨーロッパから見て〝自分達の領域の向こう側(東側)〟の意味があり、ヨーロッパとの境は、ロシアにおけるシベリアとの境目になるウラル山脈、ウラル川、カスピ海、コーカサス山脈、黒海、そして本来「アジア」の語源とされる地域=現在のトルコにあり沿岸にイスタンブール(かつてのコンスタンティノープル)があるボスポラス海峡、そして地中海。さらにアフリカとの境は紅海やスエズ運河とされている。
国際化が進んだと言われているが、そろそろ「アジア」でひとくくりにするには無理がありそうだ。北東アジアもしくは東アジア(中国及び周辺)、東南アジア、南アジア(インド及び周辺)、中央アジア、西アジア=中東(中近東)あたり、北のシベリアぐらい細分化しないと定義が広すぎる。
バブル崩壊以降、円高の進行等で製造業をはじめ日系企業は中国や東南アジアへ進出してきたが、中国といってもあの広い国土で地域差も大きく、同様に東南アジアといってもタイ、ベトナム、インドネシア―等、国によって民族、文化、そして政治体制、経済の方針も様々で、現地から見たら「外資」な日系企業への対応方針は様々だろう。
言葉には定義がある。定義の対象とは違ったり、広い定義の言葉でひとくくりにしてしまうのは危うさがあるはずだ。その最たる例が「アジア」という言葉なのかもしれない。