持続可能な開発目標SDGsが注目されている。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された基準で、2030年までに持続可能でより良い世界を目指す国際目標だ。17のゴール・169のターゲットから構成されており地球上の「誰一人として取り残さない」ことを宣誓している。
世界中の日常を瞬く間に変化させてしまった新型コロナウイルスをはじめとしたウイルス感染症も、本来は距離を置いて共生するべき野生動物と人間が接触しすぎたために生まれた脅威と言われているが、コロナ禍の今、将来の世代のための地球環境や資源を壊さずに、サステナビリティ(持続可能)に取り組むSDGsがより強く注目されるようになった。
世界の企業と比べて生産効率性の低いと言われる日本の製造業は、この課題を解決する間もなく、新たなグローバル基準であるこのSDGsにも取り組むこととなるが、もはや企業単位の努力だけではなく、商習慣も含めた日本のビジネス環境全体をドラスティックに変えていく必要があるのではないかとさえ感じる。
例えばSDG8の「働きがいも経済成長も」では、貧困国の現地経済を向上させる目的で、低・中間所得国での現地調達と製造を増やすことを提唱している。これまで大手組立メーカーが進めてきた現地調達・現地生産だ。中小ものづくりメーカーの多くが国内での生産拠点を主力としており、世界と比較してサプライチェーンが裾野まで広がり、それを強みにしてきた日本は、この提唱もグローバル基準として盲目的に進めていって良いのだろうか。
進めるのであれば、日本の数少ない競争力の源泉を殺すことなく、かつSDGsの目標を達成できる、前述のドラスティックな変化としての新しい日本の構想図を政府は描ききる覚悟が必要だ。SDGsの「現地調達」の一文を切り貼りして槍玉に上げるつもりはなく、持続可能な生産供給という意味では、国内生産の選択肢も考え方のひとつとして解釈できることは述べておく。
全ての企業が持続的に発展するためには、製品・サービスの価値を生み出し続けていくほか、その価値に見合う適正な対価を支払う、また提示し続けていくことが条件だ。安定品質の名のもと、価値を生み出すための変化の手続きが複雑な取引環境、また価値が正しく把握されないまま毎回のコストダウン要請だけが当たり前のように慣例化されている今の日本の製造業が、こうしたガラパゴス環境を前提としていない世界基準を取り入れて脆くも崩れてしまわないのか危惧するのだ。SDGsの前に変化しなくてはいけない環境が日本には多すぎる。