自動車メーカーの工場の稼働に回復の動きが見られ、まずはひと安心したいところだ。今後、人々が車や家といった高価な耐久消費財を買うマインドを取り戻すには「コロナ収束の実感」が必要となるだろう。ひととおりコロナ禍の不安材料が出尽くしたあと、残るのは「withコロナ」の覚悟と、現実的な体感としての不景気である。しばらくは忍耐の時期が続く。
感染者の推移は依然として緊張感を持つべき状況から脱せてはいない。しかし、自粛明けの市中では、次第に「密」を感じる状況が増えたように思う。そして暑い夏を迎え、社会的距離が保てている状況では一時的にマスクの着用をしないといった臨機応変な対応も必要になっている。
経済の先行きに関しては、まずは営業で受注を取らないと何も始まらない訳だが、世の営業マンにとって肩身の狭い世界となってしまったジレンマがある。対面し、時間を共有することで生まれる関係性の構築が以前に比べしづらいなか、非対面式など、知恵を絞り、なんとか別の営業スタイルを模索する必要がでてきた。
ねじ産業は鉄鋼などの素材産業部門と各種組み立て産業部門の間に位置する加工産業ということもあり、言うまでもなく外部要因や需要変動の影響を受ける。そんな中、これまでも幾多の経済危機を乗り越え、しぶとくやってきたはずだ。
戦後日本で「ねじ産業」が業界として形成をはじめるのは昭和30年代前半であるとみられる。20年後半から30年代後半において鉄鋼を主とする基幹産業部門の整備がなされ、ねじ用素材の供給体制が確立する一方、30年代に入って家電製品を花形とする組み立て産業が登場。急成長するにおよんで、ねじ産業はその姿を大きく発展することになった。
昭和30年代後半になると、所得倍増計画による旺盛な民間設備(電機、工作機械、建設など)に対する投資活動とともに、個人消費における電化製品の大衆的な普及などによって、ねじ産業は着実に成長の道を進むこととなった。
昭和40年代前半に入ると、高度成長の波に乗って自動車、大型家電など民生用耐久消費財の需要増大、道路、建設など公共事業投資の拡充、それに輸出が加わって、ねじ産業界もめざましい発展期を迎えることとなった。
ここまで高度経済成長一辺倒だった日本経済がドルショック、オイルショックと相次ぐ国際的経済環境の変動を受けるとともに、インフレ、公害など国内問題の発生によってマイナス成長に変更を余儀なくされた。そしてその後の安定成長へとしぶとく、複雑な軌跡を辿ってきた。100年を超える長寿企業もざらにあるねじ業界である。ここを踏ん張りたい。