酒や煙草をコンビニで購入する際に未成年者飲酒防止法・未成年者喫煙防止法に基づき、最近はレジ前のディスプレイにある「年齢確認」ボタンを押す必要がある。この対策について「見るからに成人であっても、ボタンを押させるのは手間であり問題」との意見が以前世間で上がった。
しかし見た目だけで生後19年364日の人と20歳以上を識別できるような人がいたとしても、その方法が個人レベルに頼った技能ではなくコンビニチェーン全店舗のアルバイトを含む従業員(例え今日から働く新人であろうと)の誰もが出来なければならず、身分証明書の提示・確認もしくは客の自己申告に任せる他ないのが実情だろう。
「マニュアル人間」…。往々にして「機転が利かない」等の否定的な意味で使われる。しかし共通認識・手法の統一・業務の規格化―、個人営業ならばともかく、組織での連携した業務においては必要だ。
大概マニュアルというものは成立した背景となる経験則で生み出されてきたものであり、逆を言えば改良(バージョンアップ)しなくなったら「時代遅れ」として役に立たない。そして習得したとしても、臨んだ現場が時代を経て変化している可能性、さらに想定外の出来事・状況もあり、「マニュアル通り」は「必ず大成功する」ではなく、あくまでも「この方法ならば外し(失敗)無し」程度の意味合いだろう。
マニュアルは無視して良いかもしれない。但し問題を起こさなければ、失敗に対する責任が取れるなら、周辺(業務を連携する相手)に迷惑を掛けなければ。その上でマニュアル以上の成果が出せたら、それが新たなマニュアルとして制定されるはずだ。
最初から手探りの状態ではなく、お手本=モデルケースがあると、人は習得しやすい。それを踏まえてアレンジを進め、最適な形を求める。洋の東西関わらず「マニュアル」という言葉でなくても、昔から日本では芸道において「守破離」という言葉で浸透している。「守=基本形・お手本通り」→「破=改善・改良の為に、新たな手法の試行錯誤」→「離=独自の手法・芸風の確立」。そして「離」の段階となっても「守=基本」は忘れないようにする。
これらは法律・規則・ルール等も同様だろう。一時期言われていた、現代の学校事情から乖離している「ブラック校則」も、制定された時期・根拠となった背景はとうに忘れ去られている事が多いようで、悪い意味での先例主義だろう。
コンプライアンス(法令・社会規範・倫理の遵守)やガバナンス(統治・組織の統制)が重要視されているが、「決まり」は何故必要か?今後改める必要はあるのか?常に考えるべきだ。