製造業とは縁遠い話だが、7月に俳優のトム・クルーズ氏が出演した新作映画の来日キャンペーンをする予定が中止となった。この原因は米国俳優組合によるストライキだが、待遇改善等数ある理由の内には「AI=人工知能の使用に関して」がある。ついにクリエイティブで人間の代わりが利きにくいとされている芸能・芸術分野にもAI・機械が役立つ事が証明されつつあり、俳優の肖像も音声も演技も、作家の脚本もAIに取って代わられる危機感の表れだろう。その他にも最近では絵画作成ソフトがコンテストで表彰されたり、時評子のような報道・記者に関しては文章を作成する「ChatGPT」の普及といった、大量の情報を蓄積するに留まらずそこから新たな価値を創造するようになった意義は大きい。
産業革命により肉体・筋肉労働が機械に置き換わった際、職人達が職を奪われる危機感から機械を破壊して導入に抵抗する事例があった。社会全体、そして長期的にみればイノベーション=革新による恩恵がある自動・効率化だが、それで労働して生活してきた職人やその家族にとっては自分達を御役御免にして生活を脅かす敵でしかない。これが芸能という産業で今起きていると考えれば納得できる。
そして人は目新しい文明の利器を使用して生み出された高品質・低コストな生産物を時折「手抜き」と見なしがちで、自動・効率化が進んだ際に消費者に問われるのは、生産物の何に対して価値を見い出したり、認めているのか?という問題にも突き当たる。身近な例としたら食品・料理だろう。顆粒・粉末の出汁、レトルト・冷凍食品といったものは手抜きか?否か?と云われるが、もし手作りより出来栄えがよかったら?低品質(出来栄え)かつ労力が掛かかり高コストな手作り料理だとしても、作る過程の「手間」をありがたがって価値を認めている表れだろう。
ねじ・ばねといった金属加工業をはじめ製造業では前述の通り既に一度は通って来た道といえる。しかし技術革新は一度だけとは限らず、IoTやIndustrie4.0といったデジタル・スマート化でさらに進んだ際、この産業はどう対応していくのか?これが課題となるはずだ。
効率的に製造できるようになった際、それに掛かった投資コストが新たな生産物に反映されるのか、そして手間が掛からなくなっても今までの従業員の雇用・生活を維持できるのか?人が介在する仕事に意義を残し・守れるのか?自動・効率化が進む時、技術的な問題とは別で人間と機械・AIの住み分け・ガイドライン、そして価値の認め方を考え直す必要が生まれ・世の中は変わっていくはずだ。