数年前に開かれた医療関係の展示会で或る企業が展示していた治療の練習キットを記事にした事があり、後に別の機会でその企業の社長に「あの練習キットは製造・販売段階にまで行きましたか?」と質問したところ「担当者が家族の介護の為に退職して、それ以降は開発が進んでいない」との事だった。ひょっとしたらこれで医療関係者の技能が向上して回復できる患者・救える人命が増えていたかもしれず、介護離職が医療の発展の機会損失となったケースだったのかもしれないと思うと、企業にとって大事な人材は家庭にとっても大事な人材であり、取り合いの構図だと考えさせられる。
本紙4月18日・25日号でも例年の採用調査アンケートを集計したが、正社員(新卒・中途)採用の増加とパート・アルバイト採用の減少や大卒初任給の増額―と安定的な人材確保に積極的傾向なのが伺える。また本紙は今号においてSDGsの取り組み記事を掲載しているが、環境問題対策だけでなく育休・介護への理解・支援制度等もあり「環境だけでなく人を大事にする」傾向で、人口減少社会でいよいよ労働力確保が難しくなった表れでもあるはずだ。
また昨今ではヤングケアラー問題も取り上げられているが、これも教育を受けられるはずの学生が介護に追われて疎かになってしまい、将来有望な学生だった場合、これは学生個人だけでなく社会にとっても大きな機会損失だろう。育児と介護、そして家事を労働もしくはそれに準ずる行動と見なすか?これに目を向けてこなかった風潮が、人手不足で無視できない段階までなってきた。
そして家事・育児・介護を担ってきたのは多くが女性だったたはずだ。しかし戦後社会において企業に勤務し賃金として現金収入を稼ぐという確固とした労働形態としては、生活家電の普及も一因だろうが欧米のウーマンリブ運動に端を発し、さらに日本では男女雇用機会均等法施行以降から女性が社会における労働力と明確に見なされると同時に、家事・育児・介護といった家庭内の賃金にはならない労働が企業で勤務する労働と直接的に比較・換算されるようになった影響は大きく、企業と企業で労働力を取り合う構図だけではなく、企業と家庭で労働力を取り合う構図ともなったといえる。
人生において育児という世話をされる期間を経て、労働だけでなく育児・介護といった世話をできる生産年齢となり、そして老後は介護という世話をされる側に戻る可能性がある事を忘れてはならない。企業だけでなく家庭も労働力を必要としており、しかも募集資格は〝家族に限る〟という代わりの利かない〝求人〟が多い。社会全体として企業と家庭を合わせた「本当の求人倍率」というのがあるはずだ。