1990年代から2010年代にかけて雑誌連載され書籍(単行本)にもなったコラム「買ってはいけない」。有名な食品に含まれる添加物・化学物質の危険性、家電製品の構造・性能上の問題点等をかなり誇張したように警鐘しているが、ベストセラーとなったのはそれだけ日々手にする製品・商品は気になる消費者心理の表れだろう。
「買ってはいけない」ではないが、かつて不買運動を呼びかけた有名な人物がいる、インド独立に貢献したマハトマ・ガンジーだ。一説には「イギリスの綿製品を着るぐらいなら裸でいた方がましだ※インドは暑いイメージがあるが、地域・時期によってはかなり寒い」とまで言っている。
人類史において「羊の生る木、羊毛の生る木」と持てはやされた綿花。手間が掛かり効率的に生産するには広大な土地・大量の労働力の投入を必要とし、かつてのアメリカ南部で行われたプランテーションのように商品作物の代名詞だ。
前述についてイギリスの植民地だったインドにおいては、安価に生産された綿花が本国へ運ばれ綿製品として輸出され、それはインドに戻って消費もされた。
そして似たような問題は現代でも起きているようだ。新彊綿と呼ばれ、生産工程において強制労働が疑惑視されている中華人民共和国新彊ウイグル自治区産の綿花・綿製品だ。衣食住に関する幅広い品でオリジナルブランドを展開していたり、ファストファッションの代名詞な日本企業の多くが、新彊綿の使用状況について「ノーコメント」としたが、これは黙認ととも受け取られかねない。
時評子もそういう企業の製品を数着は持って使用しているが、こういう話を聞いた後に「新しく次のを買うか?」と聞かれたら気が引ける。コーヒー豆やチョコレート(カカオ豆)等商品作物の取引においてフェアトレードという概念が提唱されてきたが、これはそれ以前の問題だろう。
なぜ企業は「ノーコメント」なのか?あの国は「安く大量に仕入れられる」巨大な生産・供給地であると同時に、「売りさばける」一大消費地でもある事も問題解決を難しくしているのだろう。一方でウイグル産トマトを使用している食品メーカーは使用している比率が少なかった事もあるのかもしれないが、使用中止を決断できている。
経済のグローバル化で遠くの物、高品質な物でも、安く、早く手に入り易くなったが、生産までの背景は分かりにくくなった。手に取る品を調べていったらキリがない。しかし不当に安価なのを知った上で買う事は、プライド・ポリシー・倫理観・人権意識とかを売っているのかもしれない。